エネルギーと私

アリストテレスからヤングへのロングパス

エネルギーの語源は、古代ギリシア語の「エネルゲイア(ἐνέργεια)」だ。「内部に働く」「活動」を意味するという。これは、中にある(en-)仕事(ergon)という構成で、「仕事をする能力」「潜在的な力を現実に変える働き」を指す哲学的な概念だった。それを、1807年に物理学者トマス・ヤングが、それまでの「力」を指す単語に代わる言葉として導入した。

アリストテレスの哲学に由来し、19世紀の物理学において「仕事をすることができる能力」として再定義され、現代では燃料や社会的な活動力まで広く指すようになったのだそうだ。

便利だけど実際はよくわからない

演劇と物理学の交差するポイントとして、最もキャッチーな部分が「エネルギー」だと思う。私たちは普段、稽古場で「エネルギー」という単語をかなりカジュアルに使ってしまう。しかし、それが本当の意味で何を指しているのかわかっている人はいないだろう。

それでも使われるのには理由がある。それはまず、エネルギーという単語が演劇創作の中だけでなく、あまねく世の中のあらゆる会話において使いやすい言葉だからだ。補給し、消耗し、生産し、循環する。人々の仕事は、言ってみればほとんどが何らかのエネルギーを生成するためものだ。

そして、演劇は中でも特に、観念的なものごとを頻繁に、綿密に取り扱う。ところが、創作の過程で論理や構造だけでは物足りない何かの存在にふと気づくことがある。あるいは、稽古場や舞台で生まれている現象の、理屈を越えて私たちに届いてしまう何かについて言及したいときもそうだ。そこでエネルギーという概念を使いたくなってしまうのだ。

福島第二原発まで歩いた経験

2025年12月、私が所属しているユニット「旅するたたき場」の企画で、新宿から福島第二原発付近まで歩く「徒歩旅行劇」という企画を実施した。まさにエネルギーをテーマに、「エネルギーを身体で考える」ことを目的とした上演だった。

そこで学んだことは非常にたくさんあった。まずエネルギーというものについて、私は企画立案当初、目的地が原発ということもあり、「生産し、消費するもの」として捉えていた。しかし実際は、エネルギーはどこかで生成され、つかわれるときに「別の形態へ変形している」のだということがわかった。そして、その場で消えてしまうのではなく、あらゆるものに姿を変えて残っていく。

特に実感したのは、インスタライブ越しに応援してくれるみなさんのエネルギーが、私たちが歩んでいく運動エネルギーに変換されていたということ。町を歩き、疲れてコンビニやレストランで腰を下ろすと、いらっしゃいませ!と出迎えてくれる人のエネルギーを受け取った。棒になってもう歩けない足の私たちに、ファミレスの店員さんは何の気無しにお水を持ってきてくれて、疲れが一瞬で吹き飛んだ。エネルギーは、私たちの中をめぐっているのだ。

そして目的地に着いたとき、私はひとつの決心をした。「人にエネルギーを与える仕事がしたい」と。私にとって演劇とは、舞台を通して誰かにエネルギーを届けることだ。

上演力学では、エネルギーをいかに生成し、いかに観客へ伝達するか、その方法を追求していく。


物理学における定義

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エネルギーとは

簡単に言えば、「仕事をする能力」であるとされている。「仕事」とは、力を加えて物体を動かしたり、状態を変えたりすることだ。

エネルギーは物体を動かしたり、熱や光、音を発したりする。

エネルギーはさまざまな形態に姿を変える。代表的な形態は以下の通りだ。

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