#演技論 #演出論

仮説の背景と目的

見える運動

俳優の内面で起こっていることは、客席からは目に見えない。見えるのは、表情や動きといった物理的な「見える」要素だ(便宜上、せりふや物音などの音声、感じる振動や風圧、匂いについても「見える」要素として扱う)。多くの演技メソッドでは、そういった見える要素を引き出すために、内面の見えない要素を築き上げ、固めていくことを奨励されがちだ。

しかし、表情が見えない距離になるような大きな劇場での演技になると、表情は見える要素として使いづらくなってくる。音声が持てる情報の機微も、マイクの処理を介してしまうとかなり劣化してしまう。使える主なファクターは移動や動作、身振り、明瞭なせりふということになってくる。

上演力学では、これらのような「見えやすい運動」を、ノイズを濾過して残った、洗練されたファクターと捉えようと思う。なぜなら、それらは場に生じた力を、客席からきちんと見えるようにしている仕事だからである。見える力とは、力が伝達する様子が明らかになっていることをさす。床に落ちたガラスが割れる、崖から落ちかけた恋人の手を掴んで止める、そして引っ張り上げるなど、それは物語の線に沿った運動であるとよりよい。

力が伝達する様子が明らかになっているか?

多くの俳優は怒りや悲しみなどの内的な感情を第一に演技を考える。確かにそれらは、ある人物を動かすための強いファクターではある。怒りや悲しみが生まれるとき、そこには確かに「力」がある。しかし舞台上では、それは客席から見えるようになっていなければ、存在していないのと同義として扱われる。観客が「力」を感じたとき、初めてそこに「力」が認められる。そのため稽古では、いかに「力」を「見える」ようにするかを考えるべきである。見える運動の定義とは、「力が伝達する様子が明らかになっていること」だ。

内面をいかに形成するかについては、既出の演技メソッドに譲る。上演力学では、せっかく形成された内的な力を「見えるようにする」ことにこだわる。そして、俳優同士でそれらを通わせ合い、互いに相手の力を引き出し合う方法を確立したい。

飛躍するが、この考え方は演技のみならず、舞台美術や照明、音響などのあらゆる分野に応用できる。「力が伝達している様子が明らかになっているか?」演出する際にいつでも自分に問いかけたい。


「仕事」という概念の援用

物理学には「仕事」という概念がある。

「仕事」とは、力が物体を移動させたときになされるエネルギーの量を表す。仕事の大きさは、物体に加えた力の大きさと、その力の方向に物体が移動した距離の積で表される。

$$ W = Fc $$

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仕事(W):仕事の量、大きさ

力(F):物体に加えられた力の大きさ

移動距離(c):力が加えられたことによって物体が移動した距離

</aside>

重要なポイントは、力を加えても物体が動かなければ仕事は0であるということだ。この点が、前述の「見えない力は舞台上に存在しないことと同義として扱われる」という主張と重なるように私は感じる。そこで上演力学では、前述の「力が伝達している様子を明らかにすること」を、「力を仕事に変える」と呼びたい。

ここで、舞台における「移動距離(c)」とは何を指すのか。私はこれを、単なる立ち位置の変位だけでなく、空間そのものの更新であると考えたい。物理学では、状態が変化した際のその変化量を Δ(デルタ) という記号で表記する。

つまり、上演力学における「仕事」とは、俳優が入力した力(F)によって、舞台上の状態にどれだけの変化量(Δ)を生じさせたか、という指標となる。