すぐれた上演は、玉突き事故のように出来事が連鎖して見えるようにできている。ある人物の行動が別の人物に作用し、それが別の運動を起こし、さらに別の出来事へと発展していく。これらの連鎖の中で、観客は登場人物の人間性や物語の意味、社会的なテーマといった「作者のメッセージ」を受け取っていく。
しかしダンスや音楽ライブ、コントや古典芸能などを見ていると、「作者のメッセージ」がわからなくとも上演は成り立つことがわかるはずだ。つまり、上演という営為において本当の骨子となるのは、作者のメッセージに紐づけられる「意味」ではなく、目の前で起こる出来事の「運動」の方なのではないか。そこから私は、いかに運動を劇の背骨に置いて構築できるか考え始めた。
ある時、私は物理学が語る言葉のシンプルさ、美しさに気づいた。かの有名なニュートンを祖に始まった物理学だが、こんにちの現代物理学に至るまでそれらの言葉は連綿と継承され、展開され続けてきた。いわば一つの壮大な戯曲のように、一人の作者による言葉で書かれた叙事詩のように私には感じられた。
物理学は「この世界は何でできているのか?」を観察し、そして「どう動いているのか?」を明らかにする。そして、それらを数学的に「記述」することを目指している。私はそこに、演劇との共鳴を感じた。私にとって演劇への興味もまた、それらの問いと同様のものであり、また台本という「記述」を中心とする点でも深く似通っているからだ。演劇はつねに哲学と背中合わせである。哲学と物理学は、自然科学という同一の祖を持っている。私の演劇への興味がいつか物理学と交差することは、自然科学への愛という一点で運命的に約束されていたのかもしれない。
「上演力学仮説」は、物理の用語・原理・法則における思考フレームを援用することで、演劇、特に演技の構築に役立てられるのではないかという仮説を軸に展開する。今はまだ、部分的にそうらしいと思えるいくつかの仮説を、ぴったりとはハマらないパズルのピースのように並べてみるところまでしか進んでいない。
だが、これらの仮説はやがて統合・体系化され、まるで物理学のようにシンプルで美しく、力強く壮大な一つの叙事詩のようになるだろうと直感している。それらの仮説の中心的な存在となるのが、ニュートン力学のモデルを援用して考えた「上演力学」だ。
ニュートン力学は、アイザック・ニュートンが17世紀に確立した物理学の基礎理論。物体の運動と力の関係を記述する。
第一法則(慣性の法則)
第二法則(運動の法則)
$$ F=ma $$
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**力(F):**物体の運動状態を変化させるファクターの大きさ
**加速度(a):**速度の時間的変化率
**質量(m):**物体の動かしにくさの度合い(慣性の大きさ)
</aside>
第三法則(作用・反作用の法則)